トヨタ自動車の歴史とは?いつから世界一に?

2024年8月21日更新

トヨタ自動車の歴史とは?いつから世界一に?

製造業で働くのであれば、トヨタ自動車について知っていないと恥をかいてしまうかもしれません。

トヨタは、日本を世界屈指の自動車大国に成長させただけでなく、日本の「ものづくりの精神」を体現し、世界中の製造業に影響を与えている企業です。
今回は、そんなトヨタ自動車の歴史や今日までの変遷について解説していきます。

トヨタ自動車の歴史概要

トヨタ自動車は、1937年に豊田喜一郎が創業した自動車メーカーです(当時の商号は「トヨタ自動車工業」)。
1950年に経営危機に陥りますが、同年「トヨタ自動車販売」を設立し、翌1951年には「創意くふう提案制度」を創設するなどして経営改革を推し進めました。

その後、事業は拡大し、1955年にトヨタ初の本格的乗用車「トヨペット・クラウン」を発表。1957年に初めて国産の乗用車を米国に輸出するとともに、「米国トヨタ自動車販売」を設立しました。
1982年には、トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売を合併し、現在の社名である「トヨタ自動車」を発足します。
翌1983年には国内シェア40%を達成し、当時の日本企業としては異例の約4,000億円という経常利益を計上しました。

1984年には、ゼネラル・モーターズ(GM)社との合弁で「ニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチュアリング(NUMMI)」を設立し、カリフォルニア州で生産を開始します。1988年には、ケンタッキー州で単独での生産を開始し、以降、グローバル展開を進めていきます。

1997年にはハイブリッドカー「プリウス」を、2014年には燃料電池自動車(FCV)の「MIRAI」を発売するなど、常に業界の先頭に立って次世代のクルマを開発しています。
2022年3月期決算における営業利益は過去最高の2兆9,956億円と、6年ぶりに最高益を更新しました。

以下では、トヨタの発展を語るうえで欠かせないトピックスをご紹介します。

トヨタの歴史の転機①自動車産業への参入

トヨタはもともと紡績業を営む豊田紡織をルーツとする会社です。

豊田紡織の設立は1918年で、創業者はトヨタを創業した豊田喜一郎の父である豊田佐吉です。
佐吉は自ら発明した自動織機を使って綿製品の製造・販売をおこなっていました。綿製品の品質の高さに加え、第一次世界大戦の特需によって豊田紡織は大きな成長を遂げ、後に自動織機そのものを製造・販売する豊田自動織機製作所を創設します。
喜一郎も、父の会社である豊田自動織機製作所で働いていました。

1923年9月1日、関東大震災が起き、喜一郎は東京で被災します。
震災によって鉄道は壊滅的な被害を受け、輸送手段として自動車が大活躍しました。これをきっかけに当時、贅沢品と見られていた自動車は実用品として、その公共性・利便性が認識されるようになります。

喜一郎も事業の多角化を見据え、自動車産業への進出を考えるようになりました。
そして、1933年9月1日に豊田自動織機製作所のなかに「自動車部」を設立し、自動車づくりに着手します。この日は奇しくも、関東大震災からちょうど10年後に当たる日でした。

喜一郎は、自動車の試作開始から2年足らずでA1型試作乗用車を完成させ、1936年に「トヨダ・AA型乗用車」を発売します。
1937年にはトヨタ自動車工業を設立し、1938年に現在の豊田市に工場を構え、本格的に自動車の生産を始めたのです。

トヨタの歴史の転機②トヨタ生産方式の確立

トヨタの歴史を語るうえで欠かせないのが「トヨタ生産方式」と呼ばれるトヨタ独自の生産管理システムです。トヨタ生産方式は、「異常が発生したら機械がただちに停止して、不良品をつくらない」という考え方(自働化)と、各工程が必要なものだけを流れるように停滞なく生産する考え方(ジャスト・イン・タイム)の2つの考え方を柱としています。

トヨタ生産方式は一朝一夕で確立されたものではなく、長きにわたって改善を積み重ねて確立されたものです。1945~50年代は、少量生産のなかで大量生産に劣らぬ生産性を上げるとともに、物質不足のなかで資材を有効に用いて、必要なものだけをより多くつくることが求められました。そのため、トヨタは生産性の向上と資材の有効利用に努めました。

1960年代は、設備の近代化と生産の効率化に努めた時期です。人をなるべく増やさず、必要なものだけしかつくらないことを基本に、機械化・ライン化を推進します。1970年代は、高速の大型機械の導入や分業化により生産性が飛躍的に高まるなかで、大量生産体制を確立しました。

このように長い年月の取り組みからトヨタ生産方式が確立され、顧客の要望に合ったクルマを1台ずつ、確かな品質で手際よく、タイムリーにつくることができるようになったのです。

トヨタの歴史の転機③グローバル進出

トヨタのグローバル進出は1984年まで遡ります。

同年、トヨタはゼネラル・モーターズ(GM)社との合弁会社として「ニュー・ユナイデッド・モーター・マニファクチャリング(NUMMI)」を設立。
1986年には、トヨタ・モーター・マニファクチャリング・USA(現在のTMMKおよびTMMC)を設立し、トヨタ単独で海外進出を果たし、一定の地位を獲得していきます。

その後、徐々に海外生産を増やしていきましたが、海外ではトヨタは大衆車のメーカーであり、高級車では海外メーカーに太刀打ちできないと思われていました。そのイメージを覆したのがレクサスです。
1989年、北米を主要マーケットとして立ち上げた高級ブランド・レクサスは、従来の日本車のイメージを覆し大成功を収めました。



成長を続けるトヨタの未来

1990年代になると、自動車メーカー各社は次世代のクルマを模索し始めます。

そのなかでいち早く動いたのがトヨタであり、1997年にハイブリッドカー「プリウス」を発売。
初代プリウス、2代目プリウスと販売台数はそれほど伸びませんでしたが、2009年に発売した3代目プリウスは、ガソリン価格の高騰やエコカー減税などの時代背景から大ヒットモデルとなり、同年の新車販売台数第1位に輝きました。
その後、世界的にエコカーへの関心が高まるなか、2014年にはさらなる未来を見据えた燃料電池自動車(FCV)として「MIRAI」を発表しています。

現在、自動車産業はかつてない変革期を迎えており、「Connected:コネクティッド」「Autonomous/Automated:自動化」「Shared:シェアリング」「Electric:電動化」の頭文字から「CASE」と呼ばれる次世代の自動車像が提唱されています。
トヨタもこの流れを受けて、従来とは異なる技術革新を推進しています。
2018年1月には、現社長の豊田章男氏が「自動車会社からモビリティカンパニーへの変革宣言」を発表。大きく舵を切ったトヨタの今後に注目が集まっています。

トヨタグループの部品メーカー「デンソー」とは?

デンソーは、愛知県刈谷市に本社を構える自動車部品メーカーで、世界36ヶ国に拠点を置いています。

2018年3月時点の売上高は約5兆円。自動車部品業界では国内ナンバーワン、世界ではドイツのボッシュに次いで第2位に付けています。

デンソーはトヨタの開発部門をルーツとしており、現在もトヨタグループに属しています。
1949年にトヨタの開発部門の一つだった電装部が「日本電装株式会社」として独立し、1969年に「株式会社デンソー」に社名を変更。トヨタを中心に自動車部品を供給し、現在では世界の主要なカーメーカーに幅広い製品を供給しています。
主な製品としては、自動車の熱機器関連、エンジン関連、電気機器関連、電子機器関連、ITS関連の部品が挙げられます。

日本における拠点数は64社で、愛知県を中心に多くの工場を構えています。
国内最大手のサプライヤーだけあって工場の職場環境は洗練されており、福利厚生制度も充実しています。給与水準が高いだけでなく、社員寮・社宅を利用できる求人も多く、人材派遣マーケットにおいても非常に高い人気を誇る企業です。

>> デンソーグループの派遣求人はこちら

まとめ

製造業に限らず、あらゆるビジネスにおいてトヨタは大きな影響力を持っており、トヨタ生産方式など、トヨタの歴史から学ぼうとする企業は数知れません。
トヨタに関する書籍も多くありますので、興味のある方は手に取ってみてはいかがでしょうか。

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株式会社日輪コンテンツ編集チーム
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